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むすびに



 今回は、なまぬるい生き方をしている人には、度肝を抜かれる強烈な個性の持ち主で、「板橋の佐野勝さん」と呼ばれた「兵部」銘の鉋鍛冶であった佐野勝二氏について書き上げました。

佐野勝二 作 「兵部」切り出し1
 私は佐野氏に一度だけ会ったことがあります。私が20代後半でした。この原稿の“はじめに”のところで書きましたように、父が佐野氏と顔見知りであったので、こちらの方に来たからと言って、佐野氏が当店に寄ったからです。そのとき、父にベランメー調で話すのをそばで聞いていて、あまりの口の悪さに唖然としていました。

 そのときの話で、記憶しているもう一つの話を紹介しましょう。「千代鶴のじいさんのように、鉋一枚造るのに一週間か10日掛けりゃ、俺だってもっといい鉋ができるが、そんなことしてちゃ食っていけねえよ」。佐野氏が帰った後、父は「あの人は昔からああなんだよ。しかし腕はいいんだ。」と話してくれました。

 当時当店では、新潟の問屋から佐野氏が鍛った「国明」銘と「兵部」銘の鉋を仕入れていました。佐野氏はまだそれほど有名ではありませんでしたが、値段は手ごろで、良く切れる大変評判でした。

佐野勝二 作 「兵部」切り出し2 またある時、同じ問屋が赤樫台入れの「千代鶴」銘の鉋を持ってきました。佐野氏が鍛った鉋でした。そのとき、私は「千代鶴」銘を勝手に使っていいのかどうか尋ねましたが、「佐野さんが鍛ったものだから」と言うので、この鉋を仕入れてみました。この鉋も大変良く切れて、大工さんが名指しで買いに来ていました。しばらくして「千代鶴」銘の鉋が手に入らなくなりました。仕入れ先の問屋が言うには、「千代鶴銘の商標登録している東京の問屋から苦情が来て、佐野さんが千代鶴銘の刻印をその問屋に渡したから、もう造れない」と言うことでした。

 とにかく、佐野勝二と言う人は、破天荒な人でしたが、鉋鍛冶としては超一流の腕を持っていました。言動に品格を求める名工ではなく、ただ切れ味をひたすら追求した鉋鍛冶達人と呼ぶ方が相応しい人でした。この佐野氏も鬼籍に入れられてから数十年の歳月が経ちました。佐野氏の鉋が手に入れ難くなった現在では、ますます佐野氏の鉋の評価は高まっているようです。 佐野勝二 作 「兵部」切り出し 刻印

 この原稿を当店の「道具の歴史」欄に記載し、佐野勝二氏について後世に記録として残して行きたいと思います。



   平成22年6月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭




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