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(二) 絵図に見る左官鏝



 左官鏝が描かれている最も古い絵図は、室町時代の「七十一番職人歌合」上壁塗です。萎烏帽子を被り、打刀(うちかたな)を左腰に差し(※2参照)、しゃがんだ姿勢で左手に鏝板を持ち、上げた右手で先の尖った鉄製の元首鏝を持った左官職人が描かれています。

※2 中世では烏帽子は社会の構成員として成人男性であることを示す標識でした。公家は立烏帽子、武家は侍烏帽子、庶民・職人は萎烏帽子を被りました。近世になると、庶民・職人などの成人男性は烏帽子を被らなくなります。
また、当時は、申し出により打刀(うちかたな/後の脇差)を差すことができました。左官が打刀を差すということは、生命にかけて壁塗工事をするということを意味したと思われます。


 江戸時代になると、「職人の世紀」といわれるだけに、沢山の職人風俗絵図が描かれ、その中に鏝を持って壁を塗る左官職が多く描かれています。「名古屋城障壁画」慶長17年(1612年)、「人倫訓蒙図彙」左官/元禄3年(1690年)、「江戸職人歌合」下、左官/文化5年(1808年)、「略画職人尽」左官/文政9年(1826年)などがそれらのものです。

本焼 柳葉鏝
 これらの中に描かれている左官職人は、萎烏帽子も被らず、帯刀もしていません。手に持つ鏝の形は、どれも先の尖った鉄製の元首型で、現在の柳刃鏝に似ています。

本焼 鶴首鏝 正徳3年(1713年)の「和漢三才図絵」には、「泥鏝は鉄製で、土壁を塗るのに大小数種類あり、荒壁・中塗・上塗(軒裏・天井など)等の使用目的に応じて使い分けられ、その形によって鶴首・柳刃等と呼ばれている」と書かれ、現在の柳刃鏝に似た元首の「柳刃」大小2丁と現在の鶴首鏝に似た「鶴首」一丁の鏝の絵が描かれています。

 文化元年(1804年)頃と思われる「道具字引図解」には、「大鏝」は中塗などに用いる鏝(大型の元首鏝)、「柳刃鏝」は小さい細工に用いると説明しています。

 以上から理解できるように、仏教伝来によって寺院建設で土壁塗りが行われた奈良時代から江戸時代の終わり頃まで、左官が使用した鉄製の左官鏝はみな元首型でした。これらの鏝は、現在の本焼鏝のように堅く焼き入れされたものではなく、土壁や漆喰が塗り易い地金鏝のような柔らかな材質で作られていたのではないかと推測されます。

木鏝 ここに一つ謎が残ります。寺院の土壁塗りには、当時木鏝が使われたと思われるにも係わらず、その後木鏝については文献にも、絵図にも、史料として明治になるまで(※3参照)なにも残されていないことです。木鏝は左官鏝として重要ではなかったのか、或いはその後使われなくなってしまったからなのか、よくわかりません。(※4参照) ただ一つ言えることは、土壁は木鏝では塗りにくいということです。



※3 明治時代の中ごろには、再び中首型の木鏝で登場しますが、4代続く京都の左官一家に伝わる大変数多くある鏝の中で、なぜか木鏝は長さ210mmぐらいと思われるものが一丁あるだけです。(雑誌「土と左官の力」 P87)
木鏝が盛んに使われるようになったのは、モルタル壁のビル建設ラッシュが始まった高度成長期からです。270mm〜330mmの大きさがよく使われるようになりました。



※4 故山田教授は著書「壁」の中で、「仕上げの平滑さや鏝ばなれのよさを求める上塗の場合はともかく、中塗までの工程には高価で使いにくい元首型鉄鏝よりも、むしろ木鏝の方が普通に使われていたと推定しておきたい」と述べています。




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