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(一) 日本における左官鏝の出現



 伝承として日本で左官関係の話が最も古く登場するのは、神功皇后の時代の210年ですが、神話の世界が交差してその真偽はよくわかりません。

 日本における左官鏝の出現は、奈良時代に仏教が伝来すると共に、大陸の新しい建築技術が導入され多くの寺院建設が行われ、それらの寺院の土壁、漆喰壁を塗るために渡来した工人と一緒に持ち込まれた時期と思われます。(「左官呼称の変遷について」を参照下さい)


 近年、当時の出土品から木鏝らしきものも見つかっていますが(※1参照)、どのような鏝が使われて壁が塗られたのかは、史料が残されていないためによくわかりません。

(※1) 故山田幸一教授は、著書「壁」のなかで、中国のタクラマカン砂漠の西端のシルクロードの要衝、パツソーから南北朝時代(420年頃から589年まで)のものとされる出土した木鏝を紹介しています。その木鏝は、鏝台の長さは約22cm、最大の幅は約13cmで、鏝先は尖っていて、柄である取手は鏝台とともに一木から作り出されています。
日本で出土した木鏝も、このようなものであったのではないかと推察されます。


 日本最古の鏝として、飛鳥池遺跡(7世紀後半)と滋賀県湖西線関係遺跡(飛鳥時代以降)から、木鏝が出土しています。現在の中首鏝と同位置に柄を一本の木から削り出して作ったもので、柄首はありません。

本焼 キメクリ
 また鉄製の鏝が、駿河の国分寺に比定されている片山廃寺址から出土しています。長さ約15cm、幅約3cmの細長い鉄の台を持つ元首型のもので、木の柄がついていたものと思われます。現在の平キメクリ鏝150mmと呼ばれる鏝に近い形です。しかしこれが左官鏝であったという確証はまだありません。

 これ以降、文献上では平安時代の寛平4年(892年)新撰字鏡に「鏝」の文字が見られますが、江戸時代の終わりごろまで、絵図に描かれた左官鏝を見るのみで、実物の左官鏝は発見されていません。




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