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 《2枚刃鉋の出現時期について》



千代鶴是秀作 「春駒」



はじめに



室町時代の中頃に、木材を平らに削る台鉋が中国から日本に渡来しました。このときの台鉋は、1枚刃で台の両側に取手が付き、押して使用するものでした。これ以前の日本では、木材を平らに削るのに、中国の唐の時代に蜈蚣鉋(ごこうかんな)と呼ばれ、刃がムカデの足ようにあるので百足鉋とも呼ばれた一種の木工ヤスリや槍鉋が使用されていました。


槍鉋とは、反った槍の穂先のような刃に長い柄を付け、引いたり、突くようにしたりして木材を削るもので、日本独特のものです。竹中大工道具館主席研究員の渡邊晶氏によると、この形態のものは、弥生・古墳時代に出現したと言われ、弥生時代は全長が20p以下のものが多く、古墳時代になると全長が5,60pのものも現れますが、どちらも刃の部分が3p以下の小型のもので、木造建築用には不向きであったと指摘されます。


建築物の柱・板などを削るには、刃の部分が10p以上で、全長が1m前後必要です。このような大型の槍鉋の出現は、6世紀後半以降、朝鮮半島から伝わった仏教寺院という高度な木造建築技術の伝来を待たねばなりません。これ以後、台鉋の渡来まで木材を削るには、大型の槍鉋が使われました。


百足鉋は、鉋という文字がありますが、木を削るのではなく、一種の木工ヤスリですので木を擦るものです。能楽用の小鼓胴やその他の木工品などの製作に明治時代まで使用されました。


では、私たちが今日見るような裏金の付いた2枚刃の台鉋は、いつごろ出現したのでしょうか。その出現時期については、今までいろいろと語られて来ましたが、思わぬことからある資料を目にし、詳しく調査することによって、これまでの通説を覆すことができました。今回はそれを発表してみましょう。


尚、本稿は渡邊晶著「大工道具の日本史」(平成16年)、吉川金次「斧・鑿・鉋」(昭和59年)、フリー百科事典ウィキペディアや森川正彦ホ−ムページ、その他のホームページなどを参考にさせて戴きました。以下、敬称を略させて戴きます。



2枚刃鉋の出現時期について 目次





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