スズキ金物店メインイラスト

T O P 会社概要 商品紹介  焼 印合カギ D  I  Y 千代鶴系譜 道具の歴史リ ン ク





(三) 「全国鑿製造業組合連合会」について



廣近作 鑿鍛冶組合のことで、忘れてならないことは「全国鑿製造業組合連合会」のことです。昭和40年頃に新潟の三条鑿鍛冶組合から東京の鑿鍛冶組合へ全国組織の連合会を作り、組合間の技術・情報の交換と共通の問題を解決していこうとの働きかけがあり、昭和41年に新潟県の弥彦岩室で地元の三条鑿鍛冶組合長の山田勇一氏(海弘銘)が初代会長に選出され、創立大会が開催されました。

 参加組合は三条鑿鍛冶組合・与板鑿鍛冶組合・東京鑿鍛冶組合で、播州の鑿鍛冶組合はすでに全国的な組織である「全国利器工業連合会」(利工連)があるので、新規の連合会は不必要であるとの見解で参加しませんでした。利工連は理容刃物・鋏などの輸出刃物が主体で、その中に鉋部会や鑿部会があって、毎年大会が開催されていましたが、ここに加入していない鑿鍛冶も多くいました。

 「全国鑿鍛冶製造業組合連合会」の会長は、2年任期で三地区から交互に選出され、昭和43年には与板から小原広浩氏が、昭和45年からは東京の池上喬庸氏(二代目左久作)が選出され、活動は懇親会の要素が強くありましたが、戦後の不況の一時期を乗り切るのに大変有効な役割も果たしました。
「市弘」作

 当初、会員の軒数は100軒以上存在し、これは常に問屋に値引き要求され、鑿鍛冶の労苦が報われないという鑿鍛冶の不満の表れを代弁していましたが、その後老齢化や不況による廃業で軒数は半数以下に激減し、連合会は有名無実化して、やがて活動は細々としたものになり、自然に消滅していきました。



←前のページへ   このページのトップ   次のページへ→

トップイラスト

Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved