スズキ金物店メインイラスト

T O P 会社概要 商品紹介  焼 印合カギ D  I  Y 千代鶴系譜 道具の歴史リ ン ク





むすびに



 今回は、私は三木の鋸鍛冶「宮野鉄之助」について調べ書き上げ、初代鉄之助、2代目鉄之助、2代目の息子たち、そして2代目の弟子たちについて詳しく知り得たばかりでなく、親戚の「宮野平次郎」家の鋸鍛冶としての歴史も同時に知ることができました。

宮野治光8


 その過程で、2代目鉄之助が刀剣造りにも研鑽を重ねていて、いろいろな賞を受賞する著名な刀匠でもあったと知ることになりました。、そして、その技術を活用して刃物道具鍛冶の中でも、特に難しいとされる玉鋼による鋸の製作を行った2代目鉄之助の技術水準の高さを、あらためて認識しました。この刀剣造りが、一部で刀鍛冶から鋸鍛冶になったと誤解される所以ではないかと思います。

 上記のように時系列的に詳しくまとめ上げて総合的に記述した「宮野鉄之助論」は今までになかったことなので、大工道具愛好家にとってもたいへん参考になるのではないかと、私は思っています。

 現在、大工道具は曾てのように使われなくなり、名工、達人と言われた大工道具職人の人達は、後継者もほとんどいなく高齢化し、仕事場を閉じたり、また閉めざるを得ない状況になっています。その一方で大工道具の収集熱は、インターネットを見ると、ますます高まっているようです。

 収集熱が高まることは、単なる道具として見られていた大工道具というものの地位を向上させ、今までほとんど光が当てられて来なかったそれらを製作する職人の人達への認識と理解を深めていくことになるので、たいへん嬉しいことですが、同時にこれら職人の人達を、いま記録として後世に残していかなければ、日本の大工道具文化は、時代の流れの中に消えて忘れられて行くことでしょう。

 そうならないように、私は大工道具職人やそれに関連する多くのことを調べ書き上げて、当店のホームページに発表して来ました。これからも、まだまだ調べ書き上げたいことが沢山あり、それらを記録として後世に残して行きたいと思います。

 最後に30年で20人の内弟子を育て上げながら、2代目鉄之助健在時に、約18年間に渡って宮野鉄之助の目立てをして陰で支え続けた三木市福井住の名人目立て師、吉田省三氏をここに紹介し、本稿を閉じます。




   平成22年11月吉日
   有限会社 スズキ金物店
     代表取締役 鈴木 俊昭





←前のページへ   このページのトップ   道具の歴史へ→

トップイラスト

Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved