蒲生氏が移封以前からこの地方は林業が盛んで、樹木伐採用鋸を作る地方鋸鍛冶もいましたが、優れた鍛冶技術をもった先進地の刃物道具鍛冶も伴って来たことにより、また江戸時代には大阪市天王寺の鋸鍛冶招聘や江戸時代後半には会津刃物中興の祖と言われた初代重房(若林安右衛門)や、菜種油による鋸の焼入れ法を考案した7代目中屋重左衛門(初代が伏見の中屋家で鋸鍛冶修業)が現れ、さらに江戸末期には日本一の刃物道具鍛冶とも評された2代目重房(初代の次男で、猪之吉)や鋸鍛冶名工初代中屋保右衛門などの一門によって、会津若松の地に大工道具鍛冶を中心とした刃物道具鍛冶文化が大きく花開いて行きました。
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