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はじめに
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戦前から戦後にわたって東京には多くの鑿鍛冶が存在して、名人と言われる人たちが幾人も輩出し、鑿は東京が一番であるとの定評が、かつて大工道具界にありました。東京の鑿鍛冶名人として中野の「市弘」や月島の「久作」が、いまインターネットで詳しく紹介されていますが、「市弘」はすでに鍛冶職はやめ、現在では「久作」だけになってしまいました。時代の流れが鑿鍛冶職の存在を困難にさせたのです。それと共に、かつて鑿を鍛っていた東京の多くの鑿鍛冶の名前も、今忘れ去られようとしています。 |
そこで、当店がホームページを作成した機会に、わたしが40数年前に集めた資料や二代目「正芳」の湯沢昭男氏からお聞きした話などを参考にして、かつて東京一あるいは日本一の鑿鍛冶名人であると高く評価されていたにもかかわらず、現在ではほとんど紹介されていない千住の「正芳」と月島の「清忠」の二人について、特に取り上げてホームページに記載し、その名前を後世に残していきたいと思います。 |
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