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(三) 刀匠 「加藤国秀」



 千代鶴是秀の曾祖父加藤国秀は出羽国長井で生まれ、加藤助四郎と称し、同郷の水心子正秀(1750~1825年)に師事しました。

 出羽出身の水心子正秀は本名を鈴木三治郎といい、明和8年江戸に出て、武州八王子の刀工下原吉英に入門し、相州綱広にも学びました。安永3年(1774年)には山形藩秋元家の刀鍛冶として使え、初期の頃から大乱刃(みだれば)、津田助広写しの濤瀾(とうらん)刃などの大阪新刀風の作刀でしたが(加藤国秀はこの作風を学びました)、晩年に復古思想の勃興に影響されて「日本刀は鎌倉・南北朝の古(いにしえ)復すべし」と唱え、江戸に出て来ました。そして古刀の備前伝を鍛刀するようになりました。門人は百余名に及び、理論家でもあって「刀剣実用論」・「剣工秘伝志」などを著し、新々刀の開祖と言われています。

 この正秀に学んだ加藤国秀は、幕末に大いに繁栄した加藤一門の根幹をなす名工であり、越後大堟国秀とも刀身に銘を刻し、米沢藩の刀工として国元に腰を据え、子孫が同名で明治まで4代に渡って続きました。



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