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 《玄能鍛冶の名工「長谷川幸三郎」について》



2代目 重郷1



はじめに



 新潟県三条において大工職の使う金槌である玄能の製造は、いつの頃から始まったのか定かではありませんが、大正11年に発行された三条金物業購買組合「組合員名簿」に一軒の玄能鍛冶が記載されていたり、また現在の玄能鍛冶の先代と思われる名前が大荒物区分のなかに記載されていることからも、大正時代の終盤頃にはある程度の軒数の玄能製造業者がいたことが想像できます。

鋸・鑿・鉋などの大工道具と比べて、三条で専業として本格的に玄能が製造されるようになったのは思いのほか遅く、昭和の時代になってからでした。


 当初の玄能製造方法は、使われなくなった鉄船などの廃材生鉄を利用して、大金槌で玄能の形を作りましたが、その打撃面に鋼を鍛接してヤスリ仕上げをするため、玄能と言えども大変高価なものでした。

その後、材料を丸鋼とした現在のような全鋼の玄能が、ベルトハンマー・ドロップハンマー・エアハンマーを順次に導入することによって大量に製造できるようになり、価格的にも手頃な値段になって今日を迎えています。


この三条における玄能製造の歴史において、玄能を単なる道具から芸術品の域にまで高めた玄能鍛冶に、「幸三郎」銘の名工長谷川幸三郎氏がいました。長谷川氏は、平成16年11月に69歳で惜しまれてこの世を去りましたが、「幸三郎」銘で多くの玄能の名品を残しました。


今回は、この長谷川氏について「玄能鍛冶の名工長谷川幸三郎について」と題して語ってみましょう。


尚、三条市ホームページ、村松貞次郎著「鍛冶の旅――わが懐しの鍛冶まんだら――」(昭和60年)、外栄金物(株)ホームページや他の多くのホームページ、三条の大工道具問屋(株)吉村商店からお聞きしたことなどを参考にさせて戴きました。以下、敬称は略させて戴きます。








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