これ以後、今日まで直接木造建築に携わる職人の職業種名は大工と、親方衆は棟梁と呼びます。ただし、熟練した大工を、尊称を込めて棟梁と呼ぶ場合もあります。
また、この江戸時代は職人の世紀と言われるように、宮大工・町屋大工・船大工・車大工・機(はた)大工・建具大工・家具大工・桶屋大工などと、大工という名称が付いた多くの職人が現われます。これらから、大工は、木造建築ばかりでなく、木を扱い工作する職人の総称の意味にも使われるようになります。
現在、私が調べたところによると、10代将軍徳川家治時代の1766年刊行の大百科全集『和漢船用集』の中に、「大工道具」の文字が現れます。また、「木屋の歴史」によると、11代将軍徳川家斉時代の1791年に「江戸大工道具打刃物問屋仲間」が結成されました。このことから、当時では「大工道具」という言葉が広く使われていたことがわかります。
この大工道具の種類は、単に木造建築の大工職人が使う道具だけでなく、木を扱い工作する職人の人たちも、何々大工と当時は言われていましたので、これら職人の人たちが使う木工具も含まれたのではないかと思います。このことが、大工道具というと、木造建築大工職人が使わない道具でも大工道具の中に入れ、今日まで続いているのではないかと思われます。
ちなみに、江戸時代では、現在のように大工職の徒弟となり修業を終えて、一人前の木造建築大工になっても、大工株という権利を持っていなければ、自立して家屋建築の注文を受けることはできませんでした。江戸時代の初期に、幕府公認のもとに大工仲間という組織が結成され、大工株の数が定まっていたからです。これはある意味で大工の既得権を守る封鎖的な制度でしたが、明治時代になって廃止されました。
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