しかし、なぜあれほど栄えた会津の刃物道具文化か終焉を迎えたのかの歴史的考察が、まだしっかりと記載されているとは言えないのが残念です。この点に関しては、私は著書『大工道具文化論』(2015年)の「大工道具産地の歴史的考察」の中で会津若松も取り上げ、衰退した大きな要因を次のように指摘しました。
@戊辰戦争で会津若松が荒廃したこと
A明治以後、政治・経済の中心地となった東京から距離が遠く離れ、交通の便も悪かったこと
B和鋼から洋鋼への転換が遅れたこと
C大工道具などの刃物道具を担いで東京や東北地方やその他の地方に積極的に売り歩いて、地元の刃物道具産業を拡大しようとする越後商人集団のような会津商人集団が存在しなかったこと
などです。
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