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《江戸の鋸鍛冶名工6代目中屋甚九郎について》



江戸の鋸鍛冶名工6代目中屋甚九郎


はじめに



江戸の鋸鍛冶としては、名工と名高かった12代目中屋久作、そしてその弟子であった神田の天狗源左衛門や四谷の中屋伊兵衛、8代将軍徳川吉宗時代(1716〜1757)に紀州の二見が浦から江戸に来たと伝えられた二見屋甚八(1783年の天明3年没)とその系統、江戸幕末期の名工である会津鋸鍛冶の系統の浅草安倍川町の中屋平次郎、そして江戸時代の中頃に江戸から信州諏訪に招かれ、信州鋸の始祖として伝えられる名工藤井甚九郎などが、その名を知られています。


私は、以前に、信州鋸の始祖と言われる江戸の鋸鍛冶藤井甚九郎について、どのような鋸鍛冶であったのか書き上げようと調べましたが、なかなか資料が見つからないままに、現在に至りました。


ところがごく最近、偶然アクセスしたペンション/車山高原レア・メモリーのホームページの中に記載された「江戸期諏訪の民俗」を読み進む内に、「諏訪鋸」と題したところになんと藤井甚九郎の経歴について詳しく書かれているのを発見しました。江戸に住んでいた時と諏訪に移ってからの経歴です。まさに私が知りたかった藤井甚九郎の経歴でした。
江戸に住んでいた時は、6代目中屋甚九郎銘であったことも書かれていました。


私はさらに詳しく知りたいと思い、翌日「車山高原レア・メモリー」に電話をし、ご主人の飯島隆茂氏に「諏訪鋸」を書かれた時の参考文献をお聞きしましたところ、こころよくいろいろとお教え下さいました。私はさっそくインターネットでその参考文献の一冊を探し、手に入れました。それが昭和63年に諏訪市史編纂委員会が出版した「諏訪市史 中巻 近世」です。


そこで、「諏訪市史 中巻 近世」、車山高原レア・メモリーのホームページに記載された「江戸期諏訪の民俗」の中の「諏訪鋸」、平澤一雄著「産業文化史/鋸」(昭和55年)、双葉社発行「大江戸散歩MAP」(平成21年),拙著「日本の大工道具職人」(平成23年)を参考に、「江戸の鋸鍛冶名工 6代目中屋甚九郎について」と題して語ってみましょう。



江戸の鋸鍛冶名工6代目「中屋甚九郎」について 目次





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