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(四) 室町時代から安土桃山時代



 鎌倉時代は、寺社が多い奈良を中心とした大和地方が造営の盛んなところでしたが、室町時代になると、幕府の御所や京都の寺社の復興などで、京都地方が造営活動の中心地になりました。


 そして、鎌倉時代の初期に現われた番匠という語彙が、その後の室町時代を通じて、寺社の文書や棟札に頻繁に記され、木工より番匠が職業種名として広く浸透していきます。


 室町時代の中頃になると、建築に関する工匠の準統率者としての名称として、棟梁が一般化し始めます。この頃の寺社の棟札に、大工・棟梁・小工とか、大工・頭領とか、内裏御大工・頭領・吉田大工とかの順位で記されています。


 いままで、棟梁と言う言葉は、僧侶や武家社会の筆頭格、集団などを統率する人物を差す言葉として使われ、室町時代中期以前には建築工匠の統率者の職名に「棟梁」という語彙を、一般的に使うことはありませんでした。

 室町時代初期に出現した足利将軍家の権威によって庇護された将軍家専属の工匠たちが、御大工・棟梁・番匠という順位階層で活躍し出したのが影響しているのかも知れません。彼らの多くは禅宗寺院の寺工や奈良の寺社に属する番匠たちでした。

 時代が進むとともに、最初は棟梁の役割は、大工に次ぐ地位や大工・権大工に次ぐ地位という準指導者的な存在でしたが、室町時代終盤には大工に匹敵するような同等の指導者地位を獲得しました。そして、安土桃山時代の中頃には、大工に替わって棟梁が建築工事の最高指導者・統率者としての地位になって行きます。

これには、建築工匠組織であった「座」が、この時代に全面的に崩壊したことが大きな原因の一つになっています。建築を請け負う権利であった大工職(だいくしき)も消滅します。寺社に所属する「座」の衆だけでは、城郭や城下町の建設と言う大名の大きな建築要求に対応できず、「座」という組織の束縛を離れて広く工匠を集める必要があったからです。「座」の解体と工匠組織が再編される過程で、新しく台頭して来た工匠である棟梁が、地位を向上させていったものと思われます。


 ほぼ同時期に、直接建築に携わる工匠の職業種名が、番匠から大工へと変わっていきました。『信長公記』に安土城を築いた工匠の最高責任者を御大工棟梁と記していますが、大工は棟梁配下の番匠と同格に使われています。また、この時代の終盤の加賀藩の古文書にも、大工は番匠と同格に扱われています。しかし、この時代では、まだ大工を指導者・統率者の意味に使う文書もありましたが、直接建築に携わる工匠の職業種名が、番匠から大工へと一般化し始めました。





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