鎌倉時代は、寺社が多い奈良を中心とした大和地方が造営の盛んなところでしたが、室町時代になると、幕府の御所や京都の寺社の復興などで、京都地方が造営活動の中心地になりました。
そして、鎌倉時代の初期に現われた番匠という語彙が、その後の室町時代を通じて、寺社の文書や棟札に頻繁に記され、木工より番匠が職業種名として広く浸透していきます。
室町時代の中頃になると、建築に関する工匠の準統率者としての名称として、棟梁が一般化し始めます。この頃の寺社の棟札に、大工・棟梁・小工とか、大工・頭領とか、内裏御大工・頭領・吉田大工とかの順位で記されています。
これには、建築工匠組織であった「座」が、この時代に全面的に崩壊したことが大きな原因の一つになっています。建築を請け負う権利であった大工職(だいくしき)も消滅します。寺社に所属する「座」の衆だけでは、城郭や城下町の建設と言う大名の大きな建築要求に対応できず、「座」という組織の束縛を離れて広く工匠を集める必要があったからです。「座」の解体と工匠組織が再編される過程で、新しく台頭して来た工匠である棟梁が、地位を向上させていったものと思われます。
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