スズキ金物店メインイラスト

T O P 会社概要 商品紹介  焼 印合カギ D  I  Y 千代鶴系譜 道具の歴史リ ン ク





大工と大工道具という呼び名について




はじめに


aizu2



 かつて、福島県の会津若松が東日本の中心的な大工道具の産地で、鋸・鉋・鑿などを製造し、江戸や越後、仙台、山形などにその技術が伝播し、日本の大工道具文化の創造に貢献していったことを、大工道具研究家や熱心な大工道具収集家以外は知る人たちは少ないのではないでしょうか。いまでは当地の福島県の人たちでさえ、多くはないのではないかと思います。


 会津若松における大工道具産地のはじまりは、安土桃山時代の天正18年に、蒲生氏郷が豊臣秀吉の命により伊勢松坂から会津へ移封になり、築城や城下町の整備、産業発展のために、京都や近江などから多くの職人たちを伴い、その中に刃物道具職人も含まれていたことからはじまります。


 蒲生氏が移封以前からこの地方は林業が盛んで、樹木伐採用鋸を作る地方鋸鍛冶もいましたが、優れた鍛冶技術をもった先進地の刃物道具鍛冶も伴って来たことにより、また江戸時代には大阪市天王寺の鋸鍛冶招聘や江戸時代後半には会津刃物中興の祖と言われた初代重房(若林安右衛門)や、菜種油による鋸の焼入れ法を考案した7代目中屋重左衛門(初代が伏見の中屋家で鋸鍛冶修業)が現れ、さらに江戸末期には日本一の刃物道具鍛冶とも評された2代目重房(初代の次男で、猪之吉)や鋸鍛冶名工初代中屋保右衛門などの一門によって、会津若松の地に大工道具鍛冶を中心とした刃物道具鍛冶文化が大きく花開いて行きました。


この会津刃物道具文化については、すでに堤章氏の労作『会津の鋸鍛冶―中屋安右衛門と安左衛門の周辺』・『会津の刃物鍛冶―藤井重正の周辺』・『会津の鋸鍛冶―近代の群像とその系譜』・『会津の野鍛冶―その技と群像』などが昭和時代の終盤から平成時代の初期に出版され、また山岸清次氏の『会津の鋸鍛冶』などがあります。


私は、この会津における大工道具文化について、私の著書である『日本の大工道具職人』第2章で「会津の刃物道具鍛冶の名工 長嶺重延」と「会津最後の鋸鍛冶 中屋伝左衛門」、また『続・日本の大工道具職人』第3章では「会津鋸中興の祖 名工7代目中屋重左衛門」と「会津刃物鍛冶重房の高弟吉房と重道」について、子弟関係の系譜などを歴史的に語り、そして私の大工道具研究の集大成である『大工道具文化論』の第3章大工道具の歴史とその研究のなかでも、大工道具産地としての会津若松を歴史的に考察し、その生成・発達・消滅を語りました。


 今回紹介する『会津手語り―職人に語られし幻の鍛冶―【鍛冶屋編】』の本は、福島県出身の写真家である赤沼博志氏による写真と文によって構成され、昨年の2018年12月25日に上梓されたもので、嘗ては東日本の中心的な打刃物産地であった会津地方における消えた打刃物文化を後世に伝え残すための補完資料としてまとめ上げたものです。当然、この地方における鋸・鉋・鑿などの大工道具を鍛っていた鍛冶職人の人たちが中心となっています。                               


 残念なことに、会津地方の打刃物道具文化は、昭和50年代に消えて行きますが、その文化の全容とも思えることを紹介したこの本は大変貴重な文献となることでしょう。多くの大工道具研究者や収集家の人たちにとっても、興味ある写真や文が記載されていますので、スズキ金物店の「道具の歴史」欄で、『会津者語り―職人に語られし幻の鍛冶―【鍛冶屋編】』を紹介しましょう。



←道具の歴史へ   このページのトップ   次のページへ→

トップイラスト

Copyright (C) 2006 Suzuki Kanamono. All Rights Reserved