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(三) 千代鶴是秀の弟子たち



千代鶴には4人の弟子がいました。一人は栃木県那須生まれの露窪貞吉で、修業を終えた後に郷里に帰って独立し、千代鶴是秀は鍛冶銘貞秀を与えましたが成功せず、家の小作を手伝っているうちに若くして結核で亡くなりました。二人目は勝次郎といい、大変気がきいて腕のいい弟子で千代鶴是秀も将来を期待していましたが、家庭の事情により修業半ばで泣く泣く鍛冶職になることを諦めることになり、工場の見習い職工に転職していきました。三人目は榊原美代治で、弟子入りしましたが鍛冶職になることに早めに見切りをつけ、東京高等工業学校に進学しました。しかし卒業日前で病で亡くなりました。最後の弟子が西尾英吉でした。刀匠西尾家に養子に入り、四代目西尾辰三郎となった初代綱俊の長男・綱秀の子・辰三郎と千代鶴是秀の5歳上の姉・順が結婚してもうけた次男でした。30歳近くまで千代鶴是秀のもとにいましたが、大正6年に独立して九代目石堂の妻・ラクの縁継ぎの女性と結婚して、鍛冶銘を秀房と名のりましたが、精神に異常を来して入院し、そのまま回復することはありませんでした。英吉の妻はその後二人の子供を英吉の親戚に預けて離婚しました。

 このように自分の弟子たちを一人前の鍛冶職に育て上げることができなかったばかりでなく、まだ若くして非運な生涯にならざるを得なかったことに、師匠として深い悲嘆と重い責任を感じざるを得ませんでした。

 後年、千代鶴是秀は「大正7年以来、弟子はとっておりません。」と常にのべていますが、その真意はこのようなことにあったのかも知れません。

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