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《曲尺鍛冶師の歴史ついて》



曲尺1



はじめに



 現在、大工道具を代表する道具と言うと、一般の人たちは鋸・鉋・鑿の三点を直ぐに思い浮かべると思います。しかし、曾ては曲尺(さしがね)・墨壺・釿(ちょうな)が大工道具を代表する道具でした。これらの三点は、1年の仕事始めにその年の無事を祈願する儀式や、大工仕事が始まるとき(起工式)に工事の無事を祈願する儀式に祀られました。

 この儀式を「釿始め」と呼び、奈良時代に聖徳太子によって定められた建築作法を番匠(大工職)が古代より受け継いで来た儀式と伝えられています。

「釿始め」の儀式とは、まず式材を曲尺で寸法を測り、墨壺で線を引き、釿では斫(はつ)る一連の所作を神前に奉納します。そのとき祀られた曲尺・墨壺・釿は、大工道具の「三種の神器」とも言われて大切に扱われて来ました。


 現在では、これら三点の大工道具は木造建築工法の変化などにより、ほとんど使われなくなってしまいました。けれども、聖徳太子が建立した大阪四天王寺では、聖徳太子が祀られた金堂で、毎年1月11日に日本最古の木造建築会社金剛組当主によって「釿始め」の儀式が、古代より連綿と行われ続けて現在に至っています。この儀式では、釿の代わりに槍鉋(やりかんな)が使われると言われています。

また、番匠保存会が昭和56年に「釿始め」を復活させ、京都広隆寺で毎年1月2日に「釿始め」の儀式を行っています。京都広隆寺は、聖徳太子が建立した七大寺の一つとも、また聖徳太子の供養のため西暦622年に建立され、聖徳太子信仰を中心とする寺院とも言われて来た聖徳太子ゆかりの寺院です。


今回は、「釿始め」の儀式に祀られたこの曲尺の歴史とそれを作った鍛冶師たちについて語ってみましょう。


 尚、本稿は、「道具曼陀羅羅」(昭和51年)、村松貞次郎著「鍛冶の旅―わが懐しの鍛冶まんだら―」(昭和60年)、土田一郎著「日本の伝統工具」(昭和64年)、安田泰幸・画/竹中大工道具館・文「水彩画で綴る大工道具物語」(平成21年)、フリー百科事典ウィキペディア、三条市ホームページ、香川量平著「大工道具に生きる/釿の話」(香川建設工業ホームページ)、その他の曲尺に関する多くのホームページを参考にさせて戴きました。以下、敬称は略させて戴きます。


曲尺鍛冶師の歴史について 目次





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