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《大工道具鍛冶に関する史料「怪物傳」》



一文字正兼 作 大墨壷2



はじめに



 新潟における墨壷製作の歴史は、明治時代の中頃に三条市の材木問屋であった栗山源資氏が、雪に埋もれて仕事ができなくなる冬に、出入りの大工職の人達に墨壷を作らせたのが始まりと言われています。

 やがて、関東大震災前に東京から三条に訪れ、栗山源資氏の世話になった「坪清」によって、東京の装飾彫刻墨壷が伝授されました。「坪清」の墨壷は、「見事に彫られた鶴と亀、そして墨壷の形状に合わせるように雲がたなびく胴体で、実に洗練された機能美に満ち溢れていた」と評されています。

 この「坪清」の技術を三条の墨壷職の人達が学び取り、それぞれに趣向を凝らしながら、所謂「栗山流」・「竹之内流」・「栗林流」と呼ばれる三流派ができました。またこれらの亜流の墨壷職の人達もいました。「栗山流」は「坪源」で、材木商出身です。「竹之内流」は「坪辰」で木挽職出身です。「栗林流」は左官職出身でしたが、昭和50年に廃業し、途絶えました。

 木製墨壷製作の最盛期には、なんと全国の80%以上が三条で作られ、墨壷同業者組合が存在した時代もありましたが、現在は建築に木製墨壷はほとんど使われなくなり、三条では僅か数社が残るのみになってしまいました。

一文字正兼 作 大墨壷3

 この新潟墨壷の歴史のなかで、大墨壷を専門に製作して新潟一と評されたにもかかわらず、誰も紹介することなく、僅かな人にしか知られていない“謎の名工”がいました。その名工は「一文字正兼」です。

 スズキ金物店には、いまから約40年前、私が20代後半に新潟三条の大工道具問屋に頼んで彫ってもらった正1尺6寸5分(50cm)の一文字正兼の鶴亀彫刻大墨壷があります。この謎の墨壷彫りの名工「一文字正兼」について調べ、詳しく知ることができましたので、所蔵の大墨壷を写真で紹介すると共に、一文字正兼について語り、後世に記録として残して行きたいと思います。

 尚、三条の大工道具問屋(株)吉村久幸商店や初代「壷静」の田巻勇氏から教えて戴いたこと、(有)坪源のホームページ、越後三条職人列伝「壷静物語」を参考にさせて戴きました。
以下、敬称は略させて戴きます。


謎の新潟墨壷名工「一文字正兼」 目次




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