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(一) 「源翁」・「玄翁」の由来について



一般の人たちは、金槌のことをトンカチとかハンマーとか言い表すことがあっても、よほど大工道具に理解がない限り、ある種の金槌を「げんのう」と呼び、「源翁」とか「玄翁」、また「玄能」という漢字で表記されて来たことは知らないでしょう。「げんのう」とは、石工職や大工職の人たちが使う金槌に対する特殊な呼び名であったからです。


では、金槌のことを「源翁」や「玄翁」と漢字表記して「げんのう」と呼ぶ由来はどこから来たのでしょうか。


 室町時代の初期の1336年から1392年に渡り、皇室が京都と奈良の吉野の二つに分裂した南北朝時代と言われた時代がありました。この時代に源翁心昭(げんのうしんしょう)とか、玄翁和尚とか呼ばれた曹洞宗の高僧がいました。

 この高僧が、そばを飛ぶ鳥や近づいた人間・獣たちの命をたちまち奪うと恐れられた那須野(現在の栃木県那須郡)の不思議な岩であった殺生石を、呪文を唱え、石工の使う大鉄槌で叩き割って砕き、その恐れを取り除きました。至徳2年(1385年)の8月のことと伝えられています。       

そして、このとき使った頭の両端に尖りのない形態の大鉄槌を、高僧の名に因んで、「源翁」とか「玄翁」と呼ぶようになったと言われています。しかし、この高僧が使ったのは大鉄槌ではなく、杖とか、また鉄槌の形をした杖を使ったとの言い伝えもあります。


この殺生石については、平安時代末期の「玉藻前(たまものまえ)伝説」に由来します。白面金毛九尾の狐が玉藻前という美女に化け、鳥羽上皇の寵愛を受けていましたが、病臥した鳥羽上皇がなかなか回復しないので、陰陽師に見てもらったところ、玉藻前は正体を見破られ那須野まで逃げてきましたが、追っ手によってその地で殺害され、殺生石に化して近づくものの命を奪うようになったと伝えられて来ました。


 源翁心昭は、その殺生石を砕いて恐れを取り除いた功績により、翌年に後小松天皇より法王能昭禅師の称号を賜ったと言われています。




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